コラム:抑圧の中で出会う自由

コロナ禍で見えてきたこと

 マスク生活もあと少しの辛抱か、と思っていたところからの爆発的な第7波。行動制限も出ていないので、対策はできる限りするけれども、どこで感染しても仕方ないという思いで生活している人が大半だと思います。

 この2年半、波と凪を経験しながらも、なかなか完全には収束しないコロナ禍で、私たちは見えない抑圧に囲まれて、程度の差はあれ、無意識のうちにストレスを抱えた日常生活を送っています。抑圧の力を前に、無力感に押しつぶされて抑うつ的になる、不安感にさいなまれて何かに依存する、あるいは焦燥感から地に足がつかない、出せる誰かに不満や怒りをぶつけるなど、ストレスはいろいろな形で現れているはずです。

 しかし大事なのは、抑圧された日常に置かれていても、引き出される無力感・不安感・焦燥感に圧倒されないことです。私たちは風穴を見つけて、できることを少しずつ進めていくことができるはずです。ウイルスの蔓延によって人間関係や社会活動が制限された分、私たちはそのエネルギーを何に費やすのでしょうか。テレワークの広がりによって通勤の必要がなくなった人、ペットを飼い始め今までとは違った時間や場所ができた人、もちろんそのような余裕もなく、まず助けを求めなければならなかった人もいることでしょう。

 抑圧の中にいるからこそ、今までには開く必要のなかった新しい領域への扉をたたいてみる。外に向けた扉だけではなく、自分の内に向けた扉もあると思います。その選択肢が自分の中にイメージできるかどうかが、コロナ禍にある私たちの「自由」につながるのではないでしょうか。

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